上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
すっかり忘れていたのですが、以前のロンドン旅行記で少しだけ触れた「ん?」な親子のことを急に思い出しました。(このときに書かなかったお話→ロンドン滞在(最終回))
そんなに大したことじゃないんですが。

香港から関西空港への便では機体左サイドの窓際に座っていました。
機材がB777でしたので、シートは3-3-3と並んでいます。
そこで現れたのが、その母娘でした。
私の横にその母娘は座ったのでした。

娘のほうは高校生くらいかな。
母のほうは私とそんなに年齢かわらないかも(つまりパン寿近辺)

母は「ちょっと芦屋ちっく」な白パンツにプリントのシャツなんですが。
娘といえば。

なんでTシャツとスエットパンツなんですかあなたは。
コンビニ行くのとかわらんやん。
ご丁寧にビーチサンダルみたいなの履いてるし。

その時点で私の口からポカーンという音が出てました。

もし、この母娘が昨日の夜に
母「暇やな。香港でもいこか?」
娘「えーいまからいくん」
母「ええやん、ついてきてや。なんか買うたるから」
娘「着替えるの嫌やし、このままでもええ?」
母「ええよええよ、明日の昼には帰るから」
ということで日本を出たのなら仕方ないですが。

その後、お母ちゃんは暇つぶしにパスポート開いてスタンプを数え始めたし・・・。
こんな短い路線で野菜オンリーのSpecial Meal頼んでました。
菜食ってことはあなたたち、せっかくの香港であんな美味いものやこんな美味いものも食べなかったんだね?
もったいない・・・。

そこまで思ったときにふと、とあることに気づきました。

もしかしたらこの人ら、私と同じでトランジットしてきたんかも・・・。

うわぁぁぁ、どうしよう!
もしかしたらですよ、キャセイパシフィックなんだから、
同じロンドンからこのスウェットで?
パリからこのスウェットで?
サンフランシスコかもしれないし!
まさかムンバイじゃ!!
いやムンバイだったら変でもないか。

そんな恐ろしい考えがぐるぐると回っている私をよそに、
その母娘は、、、

なぜか同じ映画(ハンサム・スーツ)を時差再生して、二人でゲラゲラ笑っていたのでした。
くわばらくわばら。
スポンサーサイト
2009.08.29 / Top↑
2005年桂林の旅(4)に載せた漓江の写真ですが、まだ少しありますのでスライドショーにまとめてみました。

下の写真をクリックするとスライドショーが開きます。
左右にマウスカーソルを持っていくと、写真の移動ができます。
閉じるときは下のCLOSEをクリックしてください。

#Lightboxというツール使っているのですが、なぜか背景が黒くなってくんない。
#なので見づらいですごめんなさい。
#と思ったらIEとFirefoxでは正常に黒くなりますね、Operaのあほ~

2005_04_30_photo0002.jpg2005_04_30_photo0004.jpg
2005_04_30_photo0007.jpg2005_04_30_photo0009.jpg
2005_04_30_photo0010.jpg2005_04_30_photo0011.jpg
2005_04_30_photo0013.jpg2005_04_30_photo0017.jpg
2005_04_30_photo0020.jpg2005_04_30_photo0022.jpg
2005_04_30_photo0023.jpg2005_04_30_photo0024.jpg
2005_04_30_photo0025.jpg2005_04_30_photo0027.jpg
2005_04_30_photo0029.jpg2005_04_30_photo0033.jpg
2005_04_30_photo0034.jpg2005_04_30_photo0036.jpg
2005_04_30_photo0038.jpg2005_04_30_photo0042.jpg
2005_04_30_photo0043.jpg2005_04_30_photo0046.jpg
2005_04_30_photo0048.jpg2005_04_30_photo0049.jpg
2005_04_30_photo0050.jpg
2009.08.28 / Top↑
やったぁ~~。
今日、「在留資格認定証明書」が届きました。
これをロンドンに送り、嫁さんが大使館に届けて査証を発行してもらう段取りになります。
申請から一か月と十日かかりました。早い部類なのかな。

一般的にはこんなことをしないのだと思います。
時間がないというだけで、再入国の手続きをすっ飛ばしたばかりにこんな心配な日々を送ることになったのですから。

これで一つ、心配事が減りました。
しかし、まだまだやらなければならないことが多いので、気を抜くわけにはいきません。

さて、ちょっと息抜きに桂林の旅のこぼれ話でも書きましょうか。(いきなり気を抜いてどうする)
本編でこぼれ話も含めてだらだらと書いてきましたので、大ネタはございませんが。

----------

●叔父さん
親戚との会食の間は、みんな桂林人なので桂林語を話すわけです。
とある叔父さんが酔っぱらって私のところまできて何か話し始めたとき、
あれ?変だぞ
と思ってたらみんな爆笑。
叔父さん、なぜか普通話で話していたのでした。
「彼はどっちでもわからないよ」と突っ込まれる叔父さん。
でも私は、いつかは中国語で皆さんと話がしたいので、次回からも普通話でお願いします!

●最高の桂林米粉
本編では一度しか出てこなかった桂林米粉(ビーフン)
でもあと数回食べています。
漂流遊びに行く前に朝ご飯で一杯、漂流から帰る時に一杯。
帰りに寄ったのはお父さんが第一位に上げる郊外のお店でした。
確かにここは美味しかったです。
同席したお客さんにお父さんが「毎日来てるのかい?結構食べるね」と話したら、
「毎日来てますよ。いつもは三玉は食べてる」と。
毎日来るなんて、よほどこのお店ってレベル高いんですね。

●漂流遊びのルール
漂流遊びには60歳以上の人は乗ってはいけません。と書いてあった。
でも水ぶっかけ戦争のときに
「老人がいます!やめて」の声が。
「どこにいるんだい!」と聞いた人がいて、
「ここですよ」とお婆さんが立ち上がりました。

んーと。
ゴムボートの上にすっくと立てるご老人てそんなに気を使わなくてもいいような・・・
でもしかし、その後はそのボートは攻撃されませんでした。

漂流遊びはこんな感じです。
桂林市観光情報サイトへ
2009_07_27_image2.jpg

●デパートの流儀
カラオケに行ったとき、微笑堂で食料品コーナーに行って買い物しました。
そこで初めて知った中国のルール。
入口でカバンを預けなければなりません。
万引き対策なわけです。
今では都市部だとそんなことはないようですが。厳しいね。

●日本食?
市内の繁華街には日本料理店がありました。
刺身とか天ぷらとか並んでいましたが、高価だしここで食べなくてもいいし。
そして別の場所にはたこ焼き屋さんもあるっ!
その名も「日本海」
ここも試してません。なんか怖い気がするから。
だって上に白い液体かけているけど、マヨネーズっぽくもないし・・・。
後で嫁さんに聞いてみたら「ミルクのどろどろした甘いのだよ」
れ、練乳ですか!?
試してみたいような、怖いような・・・。
まだお店はあるんだろうか。

●災害
後日談ですが、昨年の北京オリンピック前の冬のこと。
中国南部で大雪が続いて輸送やライフラインに重大なダメージを与えました。
場所によっては生命の危機を与える事態になり、百人を超す犠牲者が出ました。
(この雪害、日本ではあまり報道されなかった印象です)
桂林ではこの雪害で食糧の輸送が途絶えたために大きな物価の上昇がおこり、ほとんどの野菜類は倍の値段がつく事態になっていました。
その後、他の要因もあって物価はあまり下がらないままです。
庶民の味方、米粉さえ値上げすることになってしまいました。

●エンエンさん
エンエンさんご夫婦にはその後、お子さんができました。
妊娠後期のお写真を嫁さん経由で見たんですが。。。
誰ですかこの人は?

体重が40キロ台だったエンエンさん、妊娠で35キロも太っちゃいましたよ
あの細身のエンエンさんがそんなに。。。見たくなかった。
で、出産後にかなり頑張って、今ではほとんど元に戻ったそうです。

----------

桂林を発つとき、車の窓からじっと街を見つめる嫁さん。
その横顔をみていたとき。

向こうのほうに見えたのは。

桂林を表すマークでよく見る。
象鼻山。

2009_07_27_image.jpg

しまったあああ!象鼻山行くの忘れてたよ!!!
2009.08.27 / Top↑
ブログの更新が多くなっております。
今は時間がたくさん使えることもありますが、嫁さんの在留資格申請のお返事がこないことで落ち着きません。
よく読んでる、とある海外在住の方のブログでvisaが来たという記事を読んで、わがことのように嬉しく思いました。

とにかく今は待つしかありません。
待つ身は長いのです。

さて、気分を変えて桂林のお話の続きです。
ラストパートで文章が長くなっておりますのでご注意ください。(どう注意しろと)

----------

八日目の桂林出発の後のことです。
帰りは航空券の都合で、夕方になって広州につきました。
ここで一泊して明日の早朝の便で日本に帰ります。

で、広州でホテルに泊まるかと言うと。そうではありません。
なんと嫁さんの高校の同級生が広州で暮らしているので、そちらにお世話になることに。
待ち合わせの場所に行くため、私たちは新白雲空港からバスで広州市内に向かいました。

そこで初めて、中国の都市を見たのでした。

でかい。

高速道路の高架から見たからわかったのだと思います。
見渡す限りのビル群、そしてここまで高くしますかという高架。
ビルは「ま~だまだ作るぞぉー!」てな勢いで、街中にクレーンだらけ。
シムシティで100万都市作ってるときのイメージです。

----------

ここでわかりやすくまとめておきましょう。
中国の都市の面積、こんな感じです。

北京=四国(16800平方キロ)
桂林=近畿二府四県(27809平方キロ)
広州=静岡県(7430平方キロ)
上海=大分県(6340平方キロ)

桂林、でかいなぁ。

ちなみにそれぞれの人口ですが
北京=1600万人
桂林=500万人
広州=1000万人
上海=1850万人

となり、狭い上海市にとんでもない人口が集中しているのがわかります。
逆に桂林てばすっからかんですが、平地がそんなに広がってませんからね。

----------

待ち合わせ場所は市内のとあるレストランの入るビルでした。
レストランで食事していきましょうとのことです。
同級生のお名前は「エンエン」さん。
ものすっごい美人さんでございました。

店で待っていただいたエンエンさんの旦那さんにもご挨拶。
この旦那さん、日本語が堪能なんです。
大学院まで日本語勉強してたらしい。

中国語のときは私が置いてけぼり、日本語のときはエンエンさんが置いてけぼりな食事風景になりました。

食事が終わっておなかが一杯。
東坡肉(トンポーロ)などを頂きましたが量が多いわ味が濃いわで減らない。
魚料理も大きかったし、ここは4人でぎりぎりな感じです。
それと中国に来て初めて野菜のサラダ食べたなぁ。
樹脂の大きなシリンダーに葉野菜入れて、ドレッシングいれて、上下回してからサーブしてくれました。店員さんが。

その後にお宅訪問ですが・・、すごい立派なマンションですよこれ。
なんちゃってじゃなくきっちりセキュリティだし。
25階建てくらいだったかな、そこの上のほうにお宅がありまして。

広いよぉ~

リビングが20畳くらいあるし。
お部屋は他に2つ。
これで奥さん、日本円で700万円ですって!
そうなのよこのご夫婦、20代半ばでお買いになったのよ!
親御さんにも助けてもらったそうですが、この若さで家買うんですねこの国では。


... 続きを読む
2009.08.26 / Top↑
そして桂林を離れる日が来ました。八日目。

朝から空模様があまり良くありません。
午前中に市内をぶらぶらして、午後から移動予定です。
市内最大のデパート、「微笑堂」に行くことにしました。

----------

桂林市区の情報サイトには必ず出てくるこの桂林一大きなデパート「微笑堂」、日本との関連があります。
桂林の姉妹都市の中に熊本市がありまして、その関係もあって1997年に熊本のニコニコ堂が日中合弁会社として微笑堂を開店しました。
熊本のニコニコ堂といえば、松野明美選手が所属していたのでマラソンファンの記憶には残っていることと思います。

ところがそのニコニコ堂、2002年に民事再生の申し立て後、他の会社に吸収されてしまい、この訪問時には会社はなくなっておりました。
今でも日本語ガイドの叔母さんは微笑堂のことを日本語で「ニコニコ堂」と言います。
(今でも外装にNIKO NIKO DOと書かれているのです)

----------

ここでどんな家電製品が売られているのか見てみたくなり、エレベーターで家電売り場に。
確か5階だったと思います。
到着・・・・・・したのにドアが開かないっ!!

そして妙な間の後、ドアが20センチほど開い・・・・てまた閉まった!!

そして何事もなかったようにエレベーター君、上昇していきます。

エレベーター内の他の人々も苦笑。
やってくれるなぁ、最終日まで。

家電を色々と見ましたが、やはりデパートなので高かったです。
DVDレコーダーの品揃えが結構ありました。
一番多かったのはデジカメ、ビデオカメラあたり。
ほとんど日本製でした。

中国っぽいなと思ったのは、パンダ柄のトースターと冷蔵庫でした。
トースターはいいけど冷蔵庫はやりすぎ感ありますなぁ。
一人暮らしの女性向けっぽかった。

私の土産物も買い終わりました。
お昼を食べに家に帰ります。

お母さんの手料理もこれが最後。
お父さんが今度の春節にまた来なさいと言ってくれました。

昼寝で体を休めます。
中国でも昼食後の昼寝はまだまだ残っています。
そのうち日本と同じようにその習慣も消えて行くのかもしれません。

出発の時にはかなり厚い雲が覆っていました。
嫁さんが寂しい目で家を見ていました。

日本語ガイドの叔母さんを乗せて空港に向かいます。
ダンユンも来るはずでしたが、体調を崩したそうで会えませんでした。

桂林両江空港に到着した直後に凄い雨です。
お父さんのコネでVIPルームに入れてもらい、しばらく待機。
やむのかと思えるほどの大雨になりました。

一時間ほど待っていたら、なんとか飛行機は飛ぶようです。
専用の出発口があるので、私たち「家族」だけで別れの時間が持てました。
両親と叔母さんと、しっかり手を握ってご挨拶を。

嫁さんはといえば。
別れが辛いのでしょう、後も見ずに先に言ってしまいました。

良き街でありました。良き家族でありました。
今度行くときは、十分に父母への孝行がしたい。

最終日に見た桂林の景色です。

2005_05_05_photo0002.jpg


なんだか桂林を離れることが凄く寂しかった。
まるで故郷から離れてる気がした。

この日、夜には色々あったのですが、それはまた次回に。
2009.08.25 / Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。